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7千年〜2千500年前の縄文遺跡、発掘調査
 『ふぁーむ庵』 庵主が、高速道路建設で発見された、遺跡発掘調査の軌跡を追いました。
荻平遺跡は、国道115号から松ヶ房ダムへ向かう道沿いの山間地に位置する遺跡です。

9月13日(土)萩平遺跡現地説明会の様子(更新:2008/09/20)

9月13日萩平遺跡の現地説明会がありました。
80人ほどの参加者があり開会式で県教育委員会遺跡発掘課、課長の挨拶後に遺跡調査の全容の説明があり数日前新たに平安時代の〔およそ1000年前〕新しい遺跡の発見が有ったことの報告に続いて東地区と西地区を発掘課の職員による現地での説明がありました。

西地区については新しい発見は無く調査もほぼ終了ですが
東地区は調査が来年も続く予定です。
詳しくは、(財)福島県文化振興事業団遺跡調査部ホームページ をご覧下さい。

2008年05月02日 2008年05月20日 2008年06月05日
松が房ダムの下の相馬福島間の高速道路予定地で縄文式土器が多数見つかり発掘調査の最中です

発掘の担当者の話ですと今から四千年前のものだそうですが発掘が終了したあとに一般公開として詳しく説明したいとのことでした。私の近所にもいっぱい縄文式土器が見つかります、南極の氷が全部解けると30メートル海面が上昇すると言われていますが四千年前も海面の上昇と気候が穏やかな為山岳部にも沢山の縄文人が狩りをして暮らしていのでしょうね。
阿武隈東道路通過予定地での縄文式の住居跡の発掘調査はまだまだ続きます。

先週は大型バス二台で大勢の人達がやって来て発掘の為の土石を運んでいました。

文化財の発掘には予算が少ないことは聞いておりますのでたぶんボランティアの方たちと思いますが発掘には時間が掛かります。写真の白い砂の地盤まで掘り下げるには大変な労力が必要です。
高速道路建設のため発掘が続いています。毎日のように大型バス二台で発掘を続けていましたのですが昨日の夕方現場を見てきました、H型に黒い土が切り取った様な形状の訳のわからない物が出土したものと思われます。

三内丸山遺跡を見てもこんな形状のものは有りませんし住居だって竪穴式住居だったはずです、。又、隣に見えるブルーシートが掛けられた下には何かヒントがあるのでは。

今度は発掘しているときに先生に質問しようかと思っております。
2008年06月17日 2008年07月03日 2008年07月14日
写真は高速道路予定地の発掘されている一部の写真です。

十文字に土があり周りがへこんだ形でたぶん住居跡かと思いますがこのような住居跡らしき穴が沢山出土しています。

早く現地説明会が行われないかと楽しみに待っています。
今からおよそ5500年前縄文時代の遺跡の概要が見え始めました。

黒い塀のよな仕切りが1200センチあるのは他に例を見ない特徴ある竪穴住居だそうで周りにはいっぱい穴の開いた発掘の跡がありかなり大きな規模のように見てきましたが調査官によると7月26日に現地説明会があると同時に新聞に発表するのだそうです。26日を楽しみに必ず参加してきます。
松が房ダムの下縄文遺跡の現地説明会が7月26日〔土曜〕午前中が小学生を対象にした発掘体験〔定員30名〕午後からボランティアによる現地説明会が開催されます。

写真は前回紹介した塀が何本も通っていた場所ですが今回伺った時点では全部取り除かれておりました。深さの調査だったのか現地説明があるので係りの人にはあえて聞きませんでした。

その他にも柱の穴などが在ったり土が焼けた跡とか見所は沢山あり説明会が楽しみです。
2008年07月19日 2008年07月28日 2008年07月30日
いよいよ来週に高速道路建設予定地に見つかった縄文遺跡の現地説明会があります。

竪穴の中に5本の柱跡の穴が在り中に横溝が切ってあり中心部は、土が赤褐色になっており、かまどの跡ではないと思います。

このように現代ては考えられない様な穴が沢山掘ってあり説明会が楽しみです。又、ファーム庵の直ぐ下の高速のトンネル入り口周辺では地下に鍾乳洞がある可能性が高いとしてトンネル工事は調査が全て終わった時点で開始だとか。

子供の村から今回の場所まで一帯は御影石で覆われており子供の村の下115号の急な斜面には鍾乳洞らしき入り口があり純度の高い石灰岩が出てきます。

滝根の鍾乳洞より規模が大きいことを期待しています。
土曜日阿武隈東道路建設予定地に7000年前の縄文遺跡発掘現場での現地公開がありました。

遺跡は東地区と西地区に別れ今回は西地区の公開でした。西には住居跡が11軒見つかっており7千年前〔縄文早期〕・6千年前〔縄文前期〕・2500年前〔縄文晩期〕と何千年も同じ場所に住んでいたことが伺われます。

出土品は、縄文土器・石器などが数多く見つかり中でも長さ11メートルの大型住居跡は珍しい大きさで共同住居跡か狩猟時の宿泊場か、いずれにせよ何千年もの間住んでいたという事は自然の恵みの元安定した豊かな生活が営まれていた事がうかがい知る事が出来ます。又、土石流の跡で石が流れ出て住居を襲った跡や住居跡の柱の穴・かまど跡の赤くただれた砂が数箇所で見ることが出来ます。

貝塚とか動物の骨に関しては酸性土壌の為残る確立は少ないそうです。秋に東側の現地公開が開催予定だそうで東地区についても秋まで発掘は続きます。
萩平遺跡は調査の為11月まで発掘調査が行われますが調査が終われば全て埋め戻しして道路建設が始まります。

遺跡の中に杭を立て千葉県の基準点から北に199580m東に84420mの基準杭であることが表記されてありこの杭より何メートルの所に何の遺跡があると埋め戻しても直ぐに遺跡の場所を特定できるようになっています。

今日の玉野は長袖シャツを着ないと寒いぐらいの日です。さすがに玉野も今まで猛暑が続き私は背中に汗疹が出来てしまい痒いです。まだまだ暑さは続きます皆さんも暑さに負けず頑張ってください。
2008年08月28日 2008年09月13日 2008年09月17日
写真は萩平遺跡の中では比較的新しい時代の発掘が進んでいる場所ですが、此処の所の長雨で調査は進んでおりません。

此処の脇の道路は相馬工場に向かう時の近道ですので進行状況などは車の中から確認できます。此処の近道は幅が狭い上カーブが多く、なれないと難しい道路ですが、今この遺跡の周りに高速道路のトンネル工事が始まり本格的に進むと狭い道路はダンプカーに占領され一般の車は通りにくくなります。
9月13日萩平遺跡の現地説明会がありました。80人ほどの参加者があり開会式で県教育委員会遺跡発掘課、課長の挨拶後に遺跡調査の全容の説明があり数日前新たに平安時代の〔およそ1000年前〕新しい遺跡の発見が有ったことの報告に続いて東地区と西地区を発掘課の職員による現地での説明がありました。

西地区については新しい発見は無く調査もほぼ終了ですが東地区は調査が来年も続く予定です。
萩平遺跡東地区の現地説明会の様子です。此処は平安時代の住居跡ですがご覧のように土石流が流れ込んだ跡に住居を構えています、この下には7千年前の住居跡があると推定されおりなぜ斜面の土石流の跡に再び住居が出来たのか?今後まだまだ調査が続きます。

写真は1000年前の住居跡です。平安時代になると相馬中村に郡役所が出来てこの遺跡にも役人の証とされた帯金具〔黒石で出来た精巧な長方形に裏側は細い紐を通す4個の穴があり現代でも通用するような美しさだ。〕も出土していますが只、位は低いらしいが山の遺跡に役人が住んでいた証だと言う。その他にもヒスイの首飾り〔新潟県産らしい〕や縄文土器から矢じり・鉄製の槍・小刀など数多くの出土品が展示してありました。
2008年09月17日 2008年09月17日
液体窒素で瞬間に凍らせて土と共に掘り出し特殊な箱に入れて持ち帰り解凍させ表面を掃除したあとに上に粘着材を浸透させ剥がしとるのだそうです。 写真はこの遺跡で唯一発見された炭化した木片です。肉眼で素人の私共が見てもどこに木片が有るのか解りませんでしたが、説明会では滅多に観る事の出ない液体窒素ガスを使って凍らせ木片を取り出す作業を見学者に披露する為に、土曜日にも拘らず担当職員が待機して実演を見せて頂きました。

包帯状に土ごと包みあげた木片の上から液体窒素を掛けるとドライアイスのように白い煙が上がり一瞬に凍らせてしまいます
 福島県文化振興事業団ホームページで詳しくチェック

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